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和田 拓也(わだ たくや、1978年2月14日 - )は、日本の男性総合格闘家。東京都大田区出身。SKアブソリュート所属。サンボ二段。元ウェルター級キング・オブ・パンクラシスト。 == 来歴 == 1999年7月16日、プロ修斗デビュー。 2000年3月18日、フランスで開催されたGolden Trophy 2000の75kg級トーナメントで優勝を果たした。 2002年10月1日付けで竹内出と共に、SHOOTO GYM K'z FACTORYからSKアブソリュートに移籍。10月4日に修斗プロライセンス返上を修斗コミッションに通達し、10月7日付けで受理された〔(話題) [修斗] K'zの竹内出と和田拓也がライセンス返上 BoutReview 2002年10月8日〕。 2002年11月30日、初参戦となったパンクラスで伊藤崇文と対戦し、判定負けを喫した。 2004年2月27日、フロリダ州で開催されたAbsolute Fighting Championships 7でジョルジ・サンチアゴと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した。 2007年2月17日、BodogFightでスティーブン・ハイグ(ファイト・ファクトリーの創立者であり、エディ・アルバレスのトレーナー)と対戦し、チョークスリーパーで一本負けを喫した。 2007年4月15日、アブダビコンバット日本予選77kg未満級に参戦するも、準決勝で敗退した〔[ADCC] 4.15 北沢:杉江、岡見、植松ら世界大会へ BoutReview 2007年4月20日〕。 2007年10月14日、パンクラスでキム・ヒュンクワンと対戦。2Rにバッティングにより両者ともカットし、ヒュンクワンの傷口が深くドクターストップ。2R1分40秒時点まで試合内容で2-0の判定勝ちとなったものの〔【パンクラス】エース・近藤、スタンドでの打撃を一切出さずに桜木を完封 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年10月14日〕、翌2008年5月になってノーコンテストに裁定が変更された〔【パンクラス】和田拓也VSキム・ヒュンクワンの試合結果を訂正、無効試合に 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年5月14日〕。 2008年4月27日、ウェルター級暫定キング・オブ・パンクラス決定戦でジェイソン・パラチオスと対戦し、判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2008年10月26日、ノンタイトル戦で鳥生将大と対戦。キャリアの短い鳥生に判定ドローに持ち込まれた。 2008年12月7日、第4代ウェルター級キング・オブ・パンクラス決定戦で鳥生将大と再戦し、判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2009年4月5日、防衛戦で岩見谷智義と対戦し、判定勝ちを収め初防衛に成功した。 2009年10月25日、日本デビュー戦となった宇良健吾と対戦し、判定ドロー。 2009年11月23日、修斗で行われた修斗 vs. パンクラスの対抗戦で山下志功と対戦し、スリーパーホールドで一本勝ちを収めた。 2010年4月29日に次期挑戦者決定戦に勝利した宇良健吾とタイトルマッチで対戦予定であったが、「宇良との再戦はモチベーションが上がらないので辞退したい」として4月29日付けでウェルター級キング・オブ・パンクラス王座を返上した〔【パンクラス】6・5和田拓也が返上したウェルター級王座を宇良と山宮が争う 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年4月27日〕。5月21日、SRC参戦が発表された〔【SRC戦極】6・20和田拓也「“最終章”という心境。最後に世界に挑みたい」 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年5月21日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和田拓也 (格闘家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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